3歳 息子が落ち着いていくまでの記録③

リビングに放水

 悪魔の3歳児とはよく言ったもので、魔の2歳児どころではないさらにパワーアップしていく息子に

(あぁ、これが悪魔やな)と何度も実感させられました。

以前「息子が唾を吐く!」でも書きましたが

赤ちゃんだった娘のお世話でほとんど息子のことを気にかける余裕がありませんでした。

妹である赤ちゃんの存在を尊重しつつも、彼の中の小さな我慢がどんどん積もり爆発するようになりました。

そんな日々の中あっという間に幼稚園入園です。

どうなる?!幼稚園入園

 ここでまた後悔というか反省点があります。

息子に幼稚園の予備知識をほとんど話さなかったことです。

今でこそ息子には前もって予定を言っておく(カレンダーに書いておく)ことが彼にとって

重要なポイントであることは分かっていますがこの頃ただ嵐のように過ぎ去る日々でした。

今あの時に戻れるなら、まずカレンダーに入園式の予定を書き、見せながら声に出して息子に伝えます。

同じ年のお友達がいっぱいくること、遊んで過ごすこと、制服やカバンも決まっていて毎日通うこと、

これから起こることをたくさん話しておきます。

息子にしてみたら毎日youtubeして自由に過ごしていたのに

突然分からない集団に放り込まれ、決まった流れで過ごさなければいけない、

それはパニックになるよな、と同情します。

そして何も知らずに幼稚園が始まった息子ですが、最初は物珍しさ(?)で順調に通っていました。

人見知りはなく、新しい場所には好奇心でとりあえずは飛び込むことができます。

彼の良い所です。

しかし幼稚園となるとあれこれ決まり事もあるし初めての集団生活なので息子にとっては

不自由で居心地が悪いと徐々に気づき始めたのかも知れません。

この頃は年齢的なものもありますがお友達にも興味がありません。

まず初めに「あれ?」と感じたのは体操遊びの保育参観です。

そもそも息子が幼稚園ですんなりやっていく想像はついてなかったのですが、本当に想像通りでした。

まったく先生の話を聞かずチョロチョロ動き回っています。

あ~いるいるこういう子!は我が子です。

年少さんならそんなものだろうという枠を超えているように見えました。

彼だけ何も聞こえない切り離された世界で遊んでいるような…。

自由な人は好きです。誰もが本当は蛭子能収のように生きたいし、憧れていると思います。

でもいざ自分の子供が自由過ぎたら、、ましてや生きづらさを抱えることになったら、、

心配します。

園生活でもパニックになって大泣きした、と頻繁に報告を受けるようになりました。

また、登園して靴を脱ぎ、上靴を履いて~という一連の流れがどうしてもつかめないようで

ある日担任の先生から

「絵カードを使って毎朝Kくん(息子)に見せてもいいですか?」

と提案してくださいました。

靴を脱ぐ、靴箱に入れる、上靴を履く、などイラスト付きで分かりやすいカードを見ながらだと

息子はすんなり朝の流れをこなしていました。

朝、登園すると一人の先生が付いてくださり、支援を受ける息子を見て一瞬複雑な気持ちになりましたが

降園時に先生に聞きました。

「この子って、発達障害なんですかね?」

先生は

「…私の口からは何も言えませんが、支援は必要だと思います。」

かんしゃく大爆発  

 幼稚園の先生に「支援は必要」と言われてから何か行動を起こさないとな、と考えつつ

ただ一日を終えることで精いっぱいでほったらかしにしていました。

まだこの時、発達障害だとは受け止めておらず、息子も慣れたら変わるだろうと

高をくくっていました。

しかし幼稚園生活も慣れてきたと思われる頃、大パニックを起こします。

幼稚園はオートロックになっており、出る時は必ず保護者が鍵を開けて出る、という決まりになっています。

そのルールをきちんと聞いてなかった私はいつも息子に開けさせていたのでした。(鍵や仕掛けが好きな息子)

ある日先生に見つかり

「あー!鍵は子供にやらせないでくださーい!」

と駆け寄ってきました。

そこで鍵は私が閉めなおしました。

その途端!息子は大爆発!ギャーギャーと泣き喚き散らしてどうにもなりません。

先生が一連の動作をやり直そうと試みますが息子の耳にはもう何も届きません。

かんしゃくが起きている時の目はある意味本当にイっちゃってます。

とにかく彼は自分が鍵を開けて帰りたいのです。ルーティーンが崩されて大パニックです。

20分~30分暴れていたでしょうか。先生の髪もぐっちゃぐちゃに乱れたのを覚えています。

もちろん家でもよくかんしゃくを起こすことはありましたが、これは本当に茫然でした。

登園拒否始まる!?

 運動会の練習の日々が始まった頃、息子は登園をぐずるようになりました。

頑なに家を出ようとしません。(服の着替えには応じていました。)

年少なのでまだ脇に抱えて運べる体重ですが暴れられると無理です。

「いやなんだよぅ…」

と泣き、お気に入りの布団を体に巻き付けて動きません。

何が嫌なのか聞いても何も答えません。

あまり刺激しても良くなさそうなのでなるべく優しく楽しくなるように心がけました。

私は内心、このまま登園拒否が続くんじゃないかと焦っていました。

夜寝るときは(あぁ、また明日も息子が登園を嫌がるんだろうな)と思うと朝が来るのが憂鬱でした。

しかしそんな中、幼稚園の先生の頼もしさに助けられました。

「連れて来てくれさえすれば受け取るんで大丈夫ですよ!」

と言ってくださり、本当に慣れた感じで泣き叫ぶ息子を抱っこして登園させてくれました。

肝っ玉母さんのような先生たちの何てことない、こんなの朝飯前という風なプロの対応に

心が救われました。

まだ挨拶しかしない関係性だったママ達が心配して声をかけてくれたのもありがたかったです。

「Kくん運動会の練習嫌なんだね、結構疲れるからね~うちの子も嫌がってるよ」

「着替えてるだけエラいやん!パジャマで来る子もおったよ!」

みんな順風満帆に子育てしてるんじゃないんだな、話さないと分からないです。

とにかく幼稚園の前まで連れて行けばいいんだ、と気が楽になった私は

布団を被ったまま自転車に乗って行ってみようよ、

幼稚園に行かずに直接(運動会の練習をしている)運動場に行ってみよう、

抱っこ紐で行ってみよう、

幼稚園の前に公園で遊んでから行ってみよう、

毎日あの手この手で連れて行き、幼稚園の先生に私の体から息子を無理矢理はぎ取ってもらう方法で

なんとか数日休んだだけでほぼ毎日連れて行くことが出来ました。

先生の話によると、登園後しばらくすると泣き止んでいた様で、

降園時になるといつもケロっとしているのでした。

幸い、運動会が終わると登園をぐずることが少なくなっていきました。

運動会の練習で幼稚園での一日の流れが変わってしまったことに動揺していたんだと思います。

母、動きます

そうだ、息子に支援は本当に必要だ、実感するようになりようやく私は動き出しました。

発達障害や療育、発達検査などの話は経験者の友人のママからざっくり聞いてはいたので

3歳児健診の時に療育を受けるまでの流れや専門のクリニックを教えてもらい、

近くのクリニックでK式発達検査を受けることになりました。

まさにデコボコという結果でした。

分野によって発達具合が2歳だったり5歳半だったりします。(検査日は4歳になったばかりでした。)

医師から「少し言葉がふわふわしている」という話もあり、ハッとしました。

1歳11か月あたりからアルファベットが言えた!と親族とチヤホヤして、なんなら言葉が早いと思っていました。

息子はのりもの図鑑が好きで乗り物の名前はしつこいくらい繰り返し言いました。

単語は得意だけど、話すという意味では遅いのかも知れない。

親の私が気づかないので極端に言葉が遅れているわけではなかったと思いますが

確かに息子あんまり何言ってるか分からなかったです。

次回、療育も始まり年中になる④へ続きます。